FINAL DAY 387 A drop of the ink.

ノルウェイの森のラストシーンみたいに自分がどこにいるのかわからなくなる、なんてことは全然なかった。心配していた税関もあっさりスルーされてしまいなんとも呆気無く帰ってきてしまった。

空港前のバス停ではとある会社の係員がたった今出発したバスに向かって深々とお辞儀をしていた。この国では特段珍しい光景ではないはずなのに久しぶりに見ると異様だとしか思えない。別段褒めるつもりもけなすつもりもないのだが。

東京駅前でバスを降りた。近くにあった金券ショップで手持ちの米ドルとカナダドルを円に両替してとりあえずラーメン一杯ぶんの現金を手に入れる。山手線を鶯谷で降りて予約してあったホステルに行ったら日本人に見えなかったらしく最初英語で説明されてしまった。髭は剃ってるんだけどなあ。

言い表せないくらい美味い魚介とんこつのラーメンを食べてホステルに戻る道すがら遠くにスカイツリーが見えたが何の感慨も湧かなかった。東京に住んだことがないので当たり前なのだがそれだけが理由じゃない。気持ち的には日本に帰ってきたというよりも日本に移動してきたというほうがしっくりきちゃうから。きっと「歌は終わった。しかしメロディーはまだ鳴り響いている」のだろう。

この一年、毎日必ず写真を撮って日記を書いた。縛りやノルマが無ければただ堕落してしまうのが自分でわかっていたから決めたことだがまさか最後まで続くなんてこれっぽっちも思っていなかった。

結果的にこれは不慮の事故があった時遺書代わりになっただろうし、あるいは何処かにいる(と信じたい)自分にとって100%の女の子へのラブレターになり得るかもしれないし、(相手もいないのに片腹痛い話だが)自分の息子や娘が大きくなった時に読ませるかもしれない手記なのかもしない。まあ毎日だらだらしてただけの日記を387日ぶん読むのって控えめに言って嫌がらせ以外の何物でもない気もするけれど。

結局のところ、僕はただ通過した。特別なことは何もせず、何かを変えようとも何かに変わりたいとも思わず。上っ面をすくっただけじゃないかと言われたらその通りだ。日々歩き、泊り、食べ、飲み、吸い、話し、写し、書いただけ。

しかし自分はこのやり方しか出来なかっただろうし、これ以外のやり方をするつもりもさらさらなかった。まるで水に落とした一滴のインクみたいに時間が経てば痕跡など何も残らない。その時々で水やインクの量は違っていただろうが最終的に大きな違いなんて無くて最初から何もなかったみたいに綺麗さっぱり消える。そんなもんだろう、そんなもんでいいと改めて思う。

 

Faraquet – The Missing Piece


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