アルバム「雲射抜ケ声」を買ったのは17年前、17歳の時だった。そして17年後の今、再びまた聴き始めている。

17年前、アルバムを買って確かに好きだったのだけれどよりハマっていたのはHi-STANDARDやHUSKING BEEだった。無理もないと思う、イースタン・ユースの荒々しさや振り絞り方を受け止めるにはまだ若すぎたのだ。

17年が経って、なんとなくまた聴きたくなってアルバムを通して聴いてみたら全くの別物だった。酒だって17年寝かせたら値段が倍以上になるのだからそんなの当たり前なのかもしれない。でも、本当に本当に衝撃的だった。

しかし同時にイースタン・ユースを聴けるようになってしまったのだなあとしみじみしてしまってもいる。良くも悪くも。幼い頃になんとなく想像していた、20代半ばくらいには結婚して子供がいて庭と駐車場付きの一戸建てに住んでいて、、という野原ひろしのような人生とは全く無縁になっているから。想像通りの人生を送っていたら今イースタン・ユースを聴いていいないと断言できる。

現在、現実。iPod shuffleにイースタン・ユースのアルバムだけ山ほど詰め込んで真冬の真夜中に走っている。はたから見たらちょっとじゃなくてドン引きするだろう、おっさんが走りながら突然顔を歪めて声を出さずに叫んでいるんだもの。

でも走らずにはいられない時、走らせてくれるのはイースタン・ユースなのだ。エグザイルでは走れない、ミスチルでも走れない。自分にとって今が旬のイースタン・ユースだけが人気のない静かな都心の道路を走るのにふさわしい。

決して望んでこうなったわけではないから溜息なんかも出ちゃう。でもしょうがない、望むと望まざるととかの話じゃないのだ現実ってやつは。やれやれってこういう時に使うにふさわしい。四月の極東最前線がただ待ちきれない。

 

eastern youth – 地下室の喧騒