I passed by Fukushima.

最近、仕事で福島県相馬市を訪れた。震災からちょうど1年の今年3月に宮城県亘理町を訪れて以来の“東北”。3月に亘理町に向かう際の高速道路の上からは瓦礫の山やそれを撤去する重機がそこかしこに見えたが、今回は一見何事もなかったかのように綺麗な景色だった。ただし、正確には何事もなかったのではなく何もなくなった風景だったのだが。

自分の地元も同じく東北なのだが、被害がほとんどなかった日本海側だったので当事者意識のようなものは正直薄い。実家の両親に当時の状況を聞いても「夜まで停電だった」「ガソリンスタンドの行列が長かった」くらいのもので、報道を通して見た宮城、岩手、福島と同じ地方に属しているのが不思議なくらいだった。3月に仕事を終えて仙台空港に車を飛ばしていた時に見た空港近くのお茶屋のような建物、たぶん震災の前は飛行機の出発までの待ち時間をお茶を飲みながら過ごす人々で賑わっていたであろう建物が屋根と柱だけの姿でぽつんと晒されていたのを見た時に初めて「あのテレビの中の光景は確かにあったのだ」と実感した気がする。

選挙を目前に控えたこの時期はここで例えば反原発など原子力発電について書くべきなのかもしれないが、実際に体験しなかった人間が安易に豊富な知識の裏付けもなく書いていいことだとも思わないのでやめておく。自分が語ることが出来るのは相馬市のとある旅館の昼食で頂いた穴子の天ぷらの大きさと美味さだけである。

Ulrich Schnauss – A Strangely Isolated Place


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