モヤッとする日本語

最近はそうでもないが、わりと小説を読むほうだと思う。大学生の頃のとても自堕落な生活を送っていた時期、午前中に小説を数冊借りて夜の閉館ギリギリに返却してまた借りてというサイクルを繰り返し私的読書週間のようなこともやっていた。

そして漫画も大好きで、引っ越す可能性が常にある一人暮らしを続けているため自分で買い集める作品は少数だがその代わり漫画喫茶に定期的に読み貯めに行く。行くときは最低でも5時間以上のパックを使い、24時間フリーパックをやっている店に行った時には深夜に入店して翌日の夕方までひたすら15時間ぐらい漫画を読み続けたこともある。しかも個室ではなくオープン席で。大概の場合店を出て歩き出してすぐ「なぜオレはあんなムダな時間を・・・」と三井寿ばりの後悔の念に襲われるが、その後悔も含めて漫画喫茶を愛している。

小説も漫画も古典と呼ばれる作品はあまり読まないが、たまにちょっと昔の作品を読むことがある。そして時折モヤっとする文章に遭遇してしまうことになる。具体的には「伝三郎さん、必ずお電話くださいネ」「はつゑさんに見惚れてしまってうっかり赤信号を見落としちゃったヨ」のカタカナの語尾、そこに強烈ではないけれど無視できない違和感を覚えてしまうのだ。ただし全てのカタカナの語尾にモヤッとする訳ではなく、「〜だゾ」はクレヨンしんちゃん世代的に問題ないし「藤原サン!、天羽クン…」は若干のDEAR BOYS臭や特攻の拓リスペクトが感じられるがこれも大丈夫なのだ。とにかく「〜ネ」と「〜ヨ」が悪い意味で自分の心の琴線に触れてしまう。

昭和の時代のエッセイ集などは作家によって「〜ネ」「〜ヨ」は連発していたりするが、そのエッセイが自分の好きな作家のものだと余計にモヤッとすることになる。でも文章自体は好きなのでモヤッといやモヨッと身悶えしながら読み進めていく行為のなんと気持ちの悪いことか。時代性の一言で片付けられてしまう、ある意味仕方のないことではあるのだけれども。

最近だと「ぉはよぉ」「俺ゎ」「だょ」などメールで小文字を多用する人も多いらしいが、後世になって今の自分のように「あの時代の小文字イラッとするわー」などと憤る人が出てくるのだろうか?間違いなくいるだろうなあ。若い女の子や百歩譲って男子高校生あたりが使うのは許せるけどオッサンオバチャン連中が使っているのは単純に見苦しいもの。少なくとも遠藤の「ほちぃ」ぐらい面白く無い限りいい年齢した大人が小文字を使うのはどうかと自分は思います。


戦場のバーモント・キッス


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