DAY 380 I can go everywhere, I can’ t go anywhere.

セントラル・パークを歩く。道の脇に溶けきれずにへばりついた茶色い雪を見かけたがもう時間の問題だ。しかし今日は太陽が隠れているせいでやけに寒い、早いとこトイレを探しに行かなきゃ。

ポート・オーソリティのバスターミナルでトイレを済ませて一息ついた後にせっかくなのでタイムズ・スクエアを歩いてみる。昔はただの看板が乱立している場所だったのだろうが今はどでかい液晶の中で動く広告がそこかしこに溢れているだけだ。日本でも渋谷のスクランブル交差点にこれでもかと液晶看板を設置しまくればタイムズ・スクエアみたいになるんじゃないかと思ったがいろいろと難しいのかもしれない。

ストランド・ブックストアを再訪して写真集をじっくり立ち読みする。Ryan McGinleyのWay Farという新作を買ってしまうか悩みぬいたがすでにバックパックは悲鳴が聞こえそうなくらい膨張しているので諦めた。それに彼の写真はちょっと中毒性があるので引っ張られすぎてしまう可能性があったし。

一階の小説の棚を見ていると村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の英訳ペーパーバックを見つけた。まだ原著も読んでなかったこともあって思わず衝動買い。ついでにスパイク・リーが撮った映画「25時」の原作も一緒にレジに持っていく。この二冊はどれだけ時間がかかっても最後まで読み切ってやろう。

まだまだ時間が余っていたのでマンハッタンからルーズヴェルト・アイランドまでロープウェイに乗ってみる。空に浮いていた時間は10分もなかった。聞いていた通り何も無い島を適当に歩いてみるがやはり何も見るべきものは無かった。

メトロに乗る前に川辺のマンハッタンが一望出来るベンチで一服する。もし一年半前に運良く仕事が見つかっていたら今頃はまだここで働いているはずだった。結局そのための資金はまるまるこの一年の旅行につぎ込むことになったのだけれど、プラン変更に関して後悔は全く無いのでそれはいい。

煙草の半分が灰になった。ふと「自分はどこにでも行けるし、結局のところ本質的な意味ではどこにも行けないのだ」と気づく。正確には前からそのことを知っていたしそんな意味合いの誰かが書いた文章も何度も読んだことがあったが理解してはいなかったのだ。

それをじわじわと溶けて水になり土に染みこむ雪のようにゆっくり受け入れる。もしかしたらこんなことを理解するために一年もいろんな国をほっつき歩いたのかもしれない、でもまあそんなものかもしれない。

ベンチから立ち上がるとこれから食べるニューヨーク最後の夕食のことで頭の中が一杯になる。でも最終的に安さを選んでマクドナルドに入ることになりそうだ。安い順からハンバーガーを二つとホットコーヒーのスモール、決まりだ。

 

LFO – Blown


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