目覚めて最初の一本を吸いに外に出ると廊下の手摺の上を猿が走り抜けていった。まだ夢から覚めていないのかとデッキチェアに座って煙草に火を点けると今度は一回り小さい猿が目の前を颯爽と走り抜けていく。なるほど、このホテルは彼らの朝の巡回コースになっているみたいだ。
相変わらずアシュタンガ・ヨガのクラスはとても楽しい。自分の身体の可動領域の狭さに苦笑いすることも多々あるが、一時間のクラスが終わると出来ないなりに手応えはある。特に最後のシャヴァーサナという屍のポーズで目を瞑っていると窓の外から聞こえてくる生活音が心地よく聞こえ身体の周囲を通り抜けていく風が優しく感じられ、大きくて揺るがない何かの一部になったように感じられる。
クラスが終わった後に先生をしてくれている女性(別嬪さんである)とシャヴァーサナについてちょっと話している時に死を思うという言葉を聞き、ふとメメント・モリというラテン語を思い出した。多くの人はミスチルのシングルの副題として覚えているかもしれないが、自分にとってのメメント・モリは藤原新也だ。
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という一文が添えられたインドで犬が人間の死体を食べている写真を初めて見た時、大学生だった自分はひどく打ちのめされた。カメラを持ち始めてしばらくした頃だったので「こんなん勝てるわけねーじゃん」とやさぐれたりもした。何て青臭くて身の程知らずで勝ち負けで物事を考える馬鹿なのだろうと今は懐かしく振り返ることが出来るが、若かった自分なりに真剣に唸って悶えていたのだろう。
インドの滞在期間をわりと長めにしている理由のひとつに藤原新也の影響があることは否めない。他にも沢木耕太郎、小林紀晴、藤代冥砂、素樹文生がインドで撮った写真や書いた文章を何度も見て読んで、いつしかインドは自分の中で避けては通れない国になっていたし。ずるずると歳を重ねてやっと辿り着いたインドは想像以上でも想像以下でもなかった。
しかし犬に食われている人間の死体を見る時が来たら自分はシャッターを切るのだろうか?さっきも海辺で野良犬の集団に追いかけられたしきっと素通りしちゃうんだろうなあ。あー、ねこだいすき。
きのこ帝国 – 海と花束
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