DAY 011 Everybody talk with Beer Lao.

ヴィエンチャンからちょくちょくと一緒に行動していた日本人の若者と一緒に昼食を取り、カンボジアに向かうという彼を見送った。4月から就職して営業になると話していたが、ハードな業界をタフに生き抜いていくことだろう。

宿に戻ってラップトップとコーヒー、煙草の最強の組み合わせと共にしばらくハンモックの上で揺れる。いい加減飽きてきたところで明日乗る予定のヴィエンチャン行きのバスのチケットを買いに町に出た。もう地図がなくても大体の地図は頭の中に入っている。チケットを購入した帰り道、今日見送った若者が被っていたサファリハットが土産物屋に並んでいるのを見かけた。

自分のグラビアアイドルの公称ウエストサイズよりも大きい頭に入る帽子があるとはとても思えなかったが、試しに何個か被ってみることにした。ひとつまたひとつと不適合な帽子を排除していくと、なんとひとつだけすっと頭にジャストフィット!おそらく縫製が適当なので個体差が大きいからなのだろうがここで会ったが百年目、店員のねえちゃんと「まけてーな」「あかん」のやり取りを繰り返して25,000KIPでラオビールのワッペンがついたモスグリーンの帽子を手に入れた。久しぶりにニット帽以外の帽子が被れるとあってかなりご機嫌な気分で宿に戻る。

夕暮れ時、中庭のテーブルで再びラップトップをいじっていたら次々と宿泊客たちが戻ってきた。ベルギーから来たティダは相変わらず陽気で、昨日の夜と同じようにスピーカーを持ってきて音楽を鳴らし始めた。昨晩はMetallicaやMR.BIGだったが今夜はエレクトロニカ好きのスイス人や自分がいることもあってややダンスよりな選曲。日本語が話せるタイ人のヨンユ他数人も加わり日本語、英語、イタリア語など言語をちゃんぼんして話は弾む。

夜は更け、もう少しで中心部のバーではハッピーアワーが始まる時間。自分はこっそりとひとり輪から抜けて橋を渡り近くのレストランに入った。踊りに行こうぜと誘ってくれることはわかっていたが、自分は基本的にステージから遠く離れたところでぼんやり狂騒を眺めているのが好きな人間なのだと思う。もちろんローラン・ガルニエとかフェイバリットな人がステージに立ったら話は別で、最前列で全力で踊り狂うのだけれど。

注文した料理についてきた餅米は評判通り日本の米を思い出させたが、そもそもまだ日本食を恋しくなっていないので黙々と完食した。後ろのテーブルでは若い欧米の男女たちが大声で盛り上がっていて、隣のテーブルに座っていた男と目が合いお互いやれやれと苦笑い。

こっちのテーブルに移っていい?と彼はラオビールを片手に向かいに座って話し始めた。ドイツから来ている彼は大学生で、長期休暇の度にアジアを旅行しているらしい。彼が訪れたシンガポールの街の綺麗さから話題はいろんなところに飛び、繊細で複雑な問題だと知っているけどと前置きしてドイツ人はギリシャの人のことをどう思っているの?と聞いてみた。

彼はいろんな考えがあるんだけどと最初に言い、自分たちの税金のサポートを受けているくせに55歳とか早い時期に定年になって年金暮らししてるし働かない上に多すぎる公務員、一部の富裕層は脱税しまくってると淡々と矢継ぎ早に母国語ではない言葉を紡いでいく。その上逆ギレしてヒトラーとかナチスの鉤十字とかで煽ってくるんだぜ、と合間合間にpissed offと吐き捨てた。

話は変わって2001年の同時多発テロで貿易センタービルがあんなに垂直に倒壊したのは明らかに不自然でアメリカ政府の陰謀じゃないかという持論を展開されたり、東日本大震災の原子力発電所問題は今はどうなのと聞かれまだ全然解決していないけど時間とともに多くの人々は少しずつ忘れ始めているし当時の政府の初動はクソと答えたり。あれ、朝まで生テレビ?と錯覚するくらいちょっと真面目な話をたくさんした。

自分のラオビールは空になり、先に会計して彼と別れ外に出た。ずいぶん長いこと話しこんだものだ。踊りに行くのも悪くなかっただろうが、こんな夜だって決して悪くはなかった。

 

MO’SOME TONEBENDER ー パーティーは続くよ


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